夏目漱石が吾輩は猫であるを著した年 - 1905年(明治38年)

夏目漱石が吾輩は猫であるを著した年 – 1905年(明治38年)

吾輩は猫である。名前はまだ無い。

夏目漱石が吾輩は猫であるを著した年 - 1905年(明治38年)有名な書き出しで始まる夏目漱石のこの小説は、この年、高浜虚子の主宰する「ホトトギス」に10回連載したあと、3分冊の形で出版されました。

文語体が幅をきかせていた時代に、平易な口語文体と猫を主人公としたユニークさが受けて、連載開始当初から反響が大きかったと言います。

漱石は、英国留学から帰国後、一高と東京帝大で教鞭をとりながらも、学者として生涯を送るか、作家として世に出るか迷っていました。

ところが『吾輩は猫である』への反響の大きさに、確固たる自信を抱くようになります。

2年後、朝日新聞社に三顧の礼をもって迎えられました。

大学の権威がまだ、厳然とあったころの話です。将来を約束された帝大教授の名誉と、安定を捨てて新聞社と契約を結び、小説に専念するというのは前代未聞の事件です。

世間からは不思議がられ、「不徳義漢」とそしられることもありしたが、「新聞屋が下卑た商売であれば、大学も下卑た商売である」などと「入社の辞」で漱石はやり返しました。

それから朝日新聞社は、「社員作家漱石」を大々的に売り出していくことになります。

『三四郎』『それから』『こころ』などを発表していきますが、それでも漱石の反骨精神は健在です。

文学博士号を授与するという文部省の決定を拒み、読売新聞に「変人」とまで書かれた漱石は、この年、作家として生きるべく、始動を開始したのです。

そんな漱石ですが、落語や相撲、そば、ふろ、床屋、歌謡などが好きだったと言います。

東京都生まれ(1867~1916年)。

1905年の主な出来事。

■事件/東北地方大凶作。日本海海戦で初めて無線電信活用。台湾大地震。大阪築港で汽船名取丸沈没、107人溺死

■世相/戦後地下たび使用激増。軍人カーキ色服を着用。婦人髪型二○三高地。元禄模様大流行。学生間に腕時計。女学生の富士登山増加。石鹸・化粧品の需要激増。東京で貸家建築流行。巻きたばこ「ほまれ」5銭市販(大正2年、軍隊専用となる)

■企業/神戸三菱造船所創立。東邦電力設立。日立鉱山(久原房之助経営)

■軍事/38式弾底信管制定。潜航艇組立

■文化/法隆寺再建非再建論争。ローマ字ひろめ会設立。大阪築港竣工。長崎本線、奥羽線全通。関釜連絡線開航

■教育/東京法学院大学、中央大学と改称

■科学技術/井口在屋、渦巻きポンプの研究。火兵学会創立

■女性/日本YWCA創立

■文芸/夏目漱石「吾輩は猫である」「倫敦塔」。小栗風葉「青春」。上田敏訳「海潮音」。象徴詩とみにおこる

■美術/「みづゑ」創刊。関西美術院創立

■音楽/初の新人歌劇「露営の夢」。日比谷公園奏楽堂開堂式で陸・海軍楽隊演奏。「尋常小学唱歌」刊

■芸能/第1回文士劇歌舞伎座で公演

■スポーツ/早大野球部渡米。10マイル競泳。スウェーデン体操盛ん。大相撲太刀山・駒ケ岳物言い1時間。日本山岳会発足

■新聞/朝日新聞、講和条約破棄の上書発表。非講和派の新聞続々発行停止

■出版/「東京パック」、「新紀元」、「婦人画報」創刊。上杉慎吉「帝国憲法」。綱島梁川「病握録」。藤岡作太郎「国文学全史」。「商業大辞書」刊行開始

■歌謡/戦友。電車唱歌。美しき天然

■流行語/二〇三高地。皇国の興廃この一戦にあり。天気晴朗なれども波高し。

1905年とはどんな年であったのか。

旅順陥落、奉天の激戦、バルチック艦隊との日本海海戦と、日本はロシアに勝利しましたが、兵員、兵器・弾薬が不足し、財政負担も限界だったといいます。

この年の8月に、日本は米国のあっせんで講和に臨みました。賠償金と樺太割譲はいれられず、南樺太の割譲で調印しました。

このポーツマス条約の日本の譲歩を不満とした群衆が焼き打ち、交番破壊などを繰り返したため、軍隊が鎮圧し、東京府下に戒厳令が施行されたというのだから、驚かされます。

日本国民も、かなり好戦的だったということですね。

日清条約の批准という形で、戦争処理をし終えた桂内閣は12月、総辞職しています。

1905年(明治38年)

k1905

講和反対の群集による交番焼き打ちなどを伝えた1905年9月6日の記事

1.1 非常特別税法改正・相続税法(4月1日施行)・塩専売法(6月1日施行)公布

1.1 ロシアのステッセル、第3軍司令官乃木希典あての旅順開城に関する書簡を交付

1.2 旅順開城(乃木・ステッセル水師営で会見、開城規約および同付録に調印、戦闘行為中止)

1.22 ペテルスブルク労働者、冬宮宮殿に請願デモ、軍隊発砲(血の日曜日事件)、第1次ロシア革命の発端

1.25 黒溝台の会戦始まる、29日ロシア軍退却

1.29 「平民新聞」廃刊、終刊64号

2.16 実用新案法・郵便貯金法公布(7月1日施行)

2.27 第4回国庫債券1億円発行

3.1 日本軍、奉天総攻撃開始

3.1 大日本産業組合中央会設立

3.10 日本軍、奉天・撫順占領(参加軍は日本軍25万人、ロシア軍32万人)

3.11 鉄道抵当法・工場抵当法・鉱業抵当法・担保付き社債信託法公布(7月1日施行)

3.16 日本軍、鉄嶺占領

3.22 貴族院令改正公布(伯子男爵議員は143人以内、勅選議員は125人以内と、初めて数を限定)

3.26 4分半利付き英貨公債3000万ポンド募集公布、ロンドンで募集額の11倍、ニューヨークで7倍に達する人気

4.13 澎湖島に戒厳令布告

4.21 閣議、日露講和条件を決定、同日裁可

5.1 平民社で五月一日茶話会開催、最初のメーデー

5.7 米西海岸で日本人・朝鮮人排斥同盟結成

5.12 台湾全島に戒厳令布告

5.19 関東州民政署設置

5.27 日本海海戦。連合艦隊、バルチック艦隊を撃沈20、捕獲5の大勝

6.1 高平小五郎駐米公使、ルーズベルト米大統領に和平あっせんを依頼

6.7 ノルウェー議会、スウェーデンからの分離を宣言、10月26日分離条約調印

6.9 米大統領、日露に講和勧告

6.10 小村寿太郎外相、米大統領の講和勧告に応ずるむね回答、12日露外相も受諾

6.19 旧対露同志会、講和問題同志連合会を組織

6.27 ロシア黒海艦隊戦艦ポチョムキンで水兵反乱

6.30 閣議、日露講和条件を決定、7月5日裁可

7.1 第一銀行京城支店、韓国中央銀行として開業

7.3 講和全権委員に小村外相、高平駐米公使を任命

7.7 日本の樺太派遣軍、コルサコフに上陸占領

7.7 東京で対露講和問題同志連合会(会長・河野広中)開催

7.13 ロシア講和全権委員更迭、ウィッテが就任

8.1 日本、樺太全島に軍政施行

8.10 日露講和会議、ポーツマスで開催。第1回正式会見

8.12 第2回日英同盟協約調印(9月27日公布)

8.17 講和間題同志連合会大会、東京・明治座で開催、講和条件譲歩反対決議

8.20 東京で孫文を中心とする中国革命同盟会結成

8.25 山路愛山ら、国家社会党結成

8.25 東京帝国大法科大教授で対露強硬論者の戸水寛人を休職処分

8.28 御前会議、償金・割地の要求を放棄してでも講和を成立させることを議決、小村全権に訓令

8.29 日露講和第10回会見、講和成立

9.1 日露休戦に関する議定書調印

9.2 政友会協議会で西園寺公望総裁、講和成立に賛意を表明

9.2 政友会院外団有志・在京代議士の会議、政府問責を決議、憲政本党政務調査会、講和条件反対決議

9.2 清国、科挙を廃止

9.3 大阪市公会堂で市民大会開かれ、講和条約破棄・戦争継続を決議

9.5 ポーツマス条約。日露講和条約調印(10月16日批准公布)

9.5 東京・日比谷で講和反対国民大会、政府系新聞社・交番を焼き打ち。軍隊出動

9.6 東京市および府下5郡に戒厳令、新聞紙・雑誌の取り締まりに関する緊急勅令公布(ともに11月29日解除)

9.6 講和反対京都市民大会(8日神戸、11日大阪、12日横浜、21日名古屋)

9.7 万朝報、都、二六、報知の4新聞発行停止、8日日本新聞、人民新聞、9日東京朝日、京都朝報、大阪日報、大阪朝日、10日雑誌「直言」、12日東京新聞、山梨民報と各紙・誌の発行停止つづく

9.9 東京市内各所に検問所を設置

9.10 桂太郎首相待命書捧呈、慰留。警視総監更迭

9.14 満州軍総司令官・大山巌、全軍に休戦命令

9.16 芳川顕正内相辞任

9.20 河野広中ら、講和問題全国委員会を開催、内閣問責、条約破棄を決議

9.21 法学博士・金井延、寺尾亨、戸水寛人ら6博士、連署して講和条約批准拒絶の上奏文提出

9.22 東京市会、警視庁廃止意見書を満場一致で可決

10.9 平民社、内部対立のため解散

10.11 東京府会・市会・新聞記者連合懇親会、警視庁廃止期成同盟会を組織

10.12 桂・ハリマン協定成立(満鉄共同経営に関する協定、小村外相の反対で23日、一転破棄通告)

10.16 平和回復の大詔渙発

10.17 遼陽に関東総督府設置、総督・大島義昌(1906年5月6日旅順へ移転)

10.21 ロシアの鉄道スト、ゼネストに発展

10.31 ロシアでユダヤ人大虐殺始まる

10.- 清国京漢鉄道全通

11.2 伊藤博文、韓国差遣特別大使に任命

11.5 京義鉄道開通式

11.17 韓国保護条約(第2次日韓協約)調印、外交権掌握。各地で反日暴動

11.28 ダブリンでシン・フェイン党結成、アイルランドの完全独立を主張

12.2 外交官領事官官制改正(大使館新設)

12.5 モスクワに労働者ソビエト成立

12.5 東京帝国大7博士事件による総長・山川健次郎の免職を不当として同大教授ら、首相、文相に抗議書提出を決議、京都帝国大法科大学長以下全員辞表を提出

12.6 普通選挙連合会結成

12.14 文相・久保田譲、大学事件のため引責辞職

12.20 大本営閉鎖

12.20 韓国統監府、理事庁官制公布、統監府を京城に、理事庁を仁川、釜山、元山、鎮南浦、木浦、馬山に設置、21日伊藤博文を統監に任命

12.21 桂太郎内閣総辞職

12.22 北京で満州に関する日清条約ならびに付属協定調印(1906年1月31日批准公布)

12.23 モスクワで労働者が武装蜂起

12.28 第22回帝国議会開会

強い日本の時代ですが、本当に日本は強大だったのか、歴史にはいくつもの答えが隠されているような気がしてなりません。

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