美濃部達吉が唱えた天皇機関説 - 1935年(昭和10年)

美濃部達吉が唱えた天皇機関説 – 1935年(昭和10年)

美濃部達吉(みのべ・たつきち)は、憲法学者でありました。

美濃部達吉国家が主権の主体で、君主は国家の最高機関とする「天皇機関説」を唱えた人です。

この年2月、貴族院で天皇機関説に対する攻撃の火ぶたが切られました。演壇から堂々と反論しましたが、いっそう右翼を刺激し、不敬罪で告発されます。

『憲法撮要』など3著が発禁となり、議員辞任に追い込まれました。

8月、政府は天皇機関説を否定する声明を発表します。思想統一がさらに強化され、この「天皇機関説事件」をひとつの重要なきっかけにして、近代日本の歴史はファシズム期に突入したのです。

その後、美濃部達吉は内務省勤務ののち、ドイツ留学を経て東京帝大教授に迎えられます。退官と同時に貴族院議員に勅選されました。

立憲主義的・民権的な憲法理論は1930年代半ばごろまで通説として、学界や政府に影響を与えました。事件後も、学問的情熱は衰えず、行政法や刑法の分野において旺盛な研究を続け、国民の自由や人権を守るという立場を貫徹したのです。

敗戦後、憲法問題調査委員会の顧問として返り咲き、憲法改正案の作成に参画します。明治憲法への信服が深く、正しく運用すれば日本の民主化は十分達成でき、新憲法は占領軍の押しつけと反対しました。

兵庫県生まれ(1873~1948年)。

1935年はどんな時代であったのか。

■事件/駆逐艦「初雪」「夕霧」船体切断事件。台湾の台中、新竹州地方に激震、死者3000余人。各地に小作争議頻発。関東地方豪雨

■世相/分裂メーデー挙行。警視庁、暴力団狩り実施

■企業/日本アルミニウム、大日本印刷(秀英社・日清印刷合同)、松下電器産業設立

■軍事/満州細菌研究所完成。96式艦上戦闘機試作。96式陸上攻撃機試作

■文化/日本ペンクラブ結成。朝日新聞社、初の内地-台湾通信飛行に成功。東京-千葉間省線電化完成

■教育/各学校へ国体明徴訓令

■科学技術/電気通信研究所設置。新K・S磁石鋼特許。満州国立大陸科学院創立

■女性/東京に母子ホーム開館

■文芸/山本有三「真実一路」。石川達三「蒼氓」(第1回芥川賞)。高見順「故旧忘れ得べき」

■芸能/ムーラン・ルージュ全盛。三浦環「蝶々夫人」。有楽座開場。菊五郎「鏡獅子」撮影

■映画/ニュース専門館誕生。大日本映画協会創立。「妻よ薔薇のやうに」。「人生のお荷物」。「お琴と佐助」。「この子捨てざれば」。「忠冶売出す」。「丹下左膳・百万両の壼」

■スポーツ/甲子園で体操大会

■新聞/同盟通信社(のちの共同通信)設立

■放送/日伊交換放送。高柳健次郎アイコノスコープ式テレビジョン実験に成功

■出版/「世界文化」創刊。「理化学辞典」。戸坂潤「科学論」。玉城肇「日本家族制度批判」

■流行歌/二人は若い。野崎小唄。明治一代女

■流行語/人民戦線。国体明徴。鰐の面に水。ソシアル・ダンピング。

1935年の主な出来事。

前年の陸軍パンフレット批判に対する反撃は、天皇機関説問題となって現れました。

美濃部博士は理路整然と弁明しましたが、軍を背景とする議員と政友会は、衆議院で国体明徴の決議を行って自ら議会政治を否定します。政府も国体明徴の声明を出さざるを得なかったのです。

この間、関東軍の華北侵略工作は着々と進みましたが、中国共産党は「抗日救国」を宣言し、国民政府も英国の援助の下に幣制改革を断行しました。

この情勢にあせった関東軍は侵略の手を強め、かえって抗日運動を盛んにしたのです。

1935年(昭和10年)

天皇機関説事件について伝えた1935年4月8日の記事

天皇機関説事件について伝えた1935年4月8日の記事

1.4 ルーズベルト米大統領、年頭教書で第2次ニューディールを提起

1.7 中華民国、満州向け郵便物取り扱い開始

1.13 ザール地方帰属の人民投票でドイツ帰属に決定

1.15 中国共産党、貴州遵義の中央政治局会議で毛沢東主導を確立

1.21 北満鉄道(中東鉄道)譲渡に関するソ連との協定成立。3月23日、日満ソ3国調印

1.- 三菱重工業で96式艦上戦闘機を試作

2.1 イタリアが、エリトリア、ソマリアに対して軍隊を派遣

2.9 社会大衆党、議会即時解散要求民衆大会を開催

2.11 東京市中央卸売市場が開場

2.12 日満関税協定成立

2.17 ハワイで日本人移民50年の祝賀祭

2.20 中国政府、排日言論・日貨排斥を厳禁する日華提携の対日外交方針を発表

2.25 天皇機関説問題。美濃部達吉、天皇機関説について貴族院で攻撃され、弁明

2.28 坪内逍遥死去、75歳

3.4 岡田啓介首相、天皇機関説を否認。23日衆議院、国体明徴決議案可決

3.7 対華経済援助で日英米了解成立

3.16 ドイツ、再軍備宣言

3.21 ペルシャ、国名を正式にイランと改称

3.26 全国農村産業組合協会、米穀自治管理法案・産繭処理統制法案の握り潰しに関し声明書発表

3.30 臨時利得税法・同施行規則公布(4月1日施行)

4.1 「青年学校令」を公布、10月から全国に青年学校を設置

4.6 満州国皇帝来日、15日帰国

4.6 倉庫業法公布(10月1日施行)

4.7 美濃部達吉、天皇機関説のため不敬罪で告発される(9月18日起訴猶予)。9日「逐条憲法精義」「憲法撮要」など3著書発禁

4.23 帝国在郷軍人会本部、天皇機関説排撃のパンフレットを全国に配布

4.27 ブリュッセル万国博覧会が開幕

5.1 第16回メーデー(戦前最後)

5.11 内閣審議会成立、内閣調査局設置

5.17 日華両国政府、大使交換を発表

5.17 スペインでフランコが陸軍参謀総長となる

5.22 満鮮関税協定成立(24日公布)

5.29 華北駐屯日本軍、塘沽停戦協定違反(排日運動)に関し北平(北京)政務整理委員会へ重大警告、華北工作が進む

6.5 関東軍特務機関員ら華北の宋哲元軍に逮捕される(チャハル事件)

6.10 梅津・何応欽協定成立。国民政府、華北問題に関し日本側要求を受諾

6.18 英独海軍艦船協定調印

6.27 関東軍、宋哲元軍のチャハル省撤退を要求、宋受諾(特務機関長土肥原・秦徳純協定)。日本の内蒙古工作進む

7.4 仏、人民戦線を結成

7.7 東京の各新聞社、日曜夕刊を廃止

7.11 「粛軍に関する意見書」を陸軍将校・村中孝次、磯部浅一が配布。のち免官

7.14 パリで反ファッショデモ。人民戦線確立

7.16 皇道派の真崎甚三郎教育総監を罷免、後任に渡辺錠太郎

7.20 カナダに対し通商擁護法を発動、実施

7.22 外国旅券規則制定(9月1日施行)

7.25 輸出組合中央会設立

7.25 モスクワ、第7回コミンテルン大会で人民戦線の方針決定。各国の反ファッショ闘争

7.26 高橋是清蔵相が赤字公債政策に批判的な内容の声明を発表

8.1 警視庁、初めて無線通信付き自動車を使用

8.1 中国共産党が「抗日救国」を宣言

8.2 7月に「粛軍に関する意見書」を配布した村中大尉ら2人免官

8.3 政府、国体明徴声明発表(5日諸対策発表)

8.9 農村工業奨励規則公布(即日実施)

8.12 陸軍内部の統制派・皇道派の暗闘激化。統制派の中心・永田鉄山軍務局長が皇道派の相沢三郎中佐に刺殺される

8.14 陸軍3長官会議を開催、粛軍実現に邁進することを申し合わせ

8.31 米、中立法を制定

9.6 英国の対華経済使節リース・ロス来日、外、蔵相と対華共同借款・日華英経済合作問題・満州国承認問題などにつき会談

9.15 ヒトラー、ナチス党旗ハーケンクロイツを国旗とする。ニュールンベルク法(ユダヤ人の市民権剥奪)公布

9.17 住友金属工業株式会社設立

9.18 欧州政局不安で株価高騰、東京株式市場出来高116万6000株、創設以来の新記録

10.1 第4回国勢調査。内地人口6925万4148

10.3 イタリア、エチオピアに侵略(エチオピア戦争)

10.7 広田弘毅外相、日華提携3原則(排日をやめ、満州国を黙認し、赤化防止)を提議

10.20 日本文化協会、赤化小学校教員の精神鍛錬とし第1回思想講習会開く

10.- 中国共産軍、大西遷長征に成功。陜西に拠点

11.3 中国国民政府、幣制改革を断行

11.9 政府、中国の幣制改革反対を表明

11.9 上海で中山1等水兵が射殺される。政府、中華民国に厳重抗議

11.15 フィリピン連邦共和国成立、初代大統領ケソン

11.25 華北に冀東防共自治委員会成立

11.26 高橋是清蔵相、軍事予算増額をめぐって陸軍省と対立する

12.1 初の年賀用郵便切手を発行。図案は富士山

12.8 大本教の第2次不敬事件で幹部30人を一斉検挙(1936年3月13日結社禁止)

12.9 ロンドン第2次海軍軍縮会議開催(英米仏伊日)

12.9 北京の学生3万、救国抗日運動を展開(12・9運動)、天津、南京、杭州に波及

12.20 満鉄、華北開発の興中公司設立

12.26 日清郵便条約調印(28日公布、36年1月26日実施)

12.26 第68回帝国議会開会

12.26 日加通商新協定成立、公文交換(1936年1月1日実施)

日本という国家が、ファシズムの大きな渦の中に飲み込まれていきます。

日本は神の国などという妄想を、国民が本当に信じ込んでいたのかどうか、もしそうだったとしたら、それはいったい誰のせいだったのでしょうか。

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