尾崎行雄は憲政の神様と呼ばれた男 - 1942年(昭和17年)

尾崎行雄は憲政の神様と呼ばれた男 – 1942年(昭和17年)

尾崎行雄(おざき・ゆきお)は政治家でした。

尾崎行雄護憲運動の先頭に立ち、「憲政の神様」と呼ばれました。

この年4月、軍部や東条内閣を批判する演説を行い、不敬罪の容疑で起訴されます。

戦後は一転、民主主義の教えを請う人の「尾崎詣で」がブームになりました。

今も昔も変わらぬ、手のひら返しですね。

尾崎行雄は新聞記者を経て、国会開設年の第1回総選挙に当選しました。以後、25回連続当選を果たします。

63年におよぶ議員生活や国民的な人気にもかかわらず、大臣になったのは2回のみでした。「主義主張の実現のため、どの政党で何ができるか」に徹して一政党に長くとどまらず転々として、「おさき真っ暗」などと揶揄されながら政治家を続けました。

早くから英国流の議会政治を理想に掲げ、「議事こそ真剣勝負であります」と、国会での論議で物事を決めよと主張しました。

演説の迫力は群を抜き、第3次桂内閣のときに政府糾弾演説に立ち、攻撃された桂は顔面蒼白になったと言います。まもなく桂は病死しましたが、死の床で「尾崎に命を縮められた」と呟き、演説による「気死」と噂されました。

第1次大戦後の荒廃したヨーロッパを視察し、対外強硬派の立場から軍備縮小へと政治姿勢を転換、徹底した反戦論者となりました。

長く東京・品川の「化け物屋敷」と呼ばれたボロの借家に住んでいました。

現代の政治家とは、一味も二味も違う人だったと言えるでしょう。

神奈川県生まれ(1858~1954年)。

1942年はどんな時代であったのか。

■世相/増産運動。ゲートル巻き。白はち巻き。婦人の1日入営。産めよ殖やせよ運動。かつぎや活躍。殺人ウイスキー事件

■企業/帝国水産統制会社設立。玉造船所、三井造船会社と改称

■軍事/2式多連高射機関砲制定。磁探完成

■文化/米英音楽禁止。第1回大東亜文学者大会。「愛国百人一首」選定

■教育/東京帝国大第2工学部開設。中等学校数学・理科教育改革。教育審議会廃止

■科学技術/航空研究所にロケット研究部設置

■厚生/国民医療法公布

■文芸/岩田豊雄「海軍」。丹羽文雄「海戦」。中島敦「光と風と夢」。伊藤整「得能物語」。与謝野晶子死去、63歳

■映画/大映設立。「ハワイ・マレー沖海戦」。「将軍と参謀と兵」。「父ありき」。「南海の花束」。記録映画「マレー戦記」、「空の神兵」

■新聞/日本新聞会創立。「中部日本新聞」(「新愛知」「名古屋新聞」合同)創刊。「東京新聞」(「都新聞」「国民新聞」合同)創刊。「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」を「毎日新聞」と統一改題

■放送/中央放送局、対外宣伝機能を強化

■出版/石原純「科学史」。「日本科学古典全書」刊行開始。「東京帝国大学学術大観」

■流行歌/朝だ元気で。落下傘部隊の歌。湖畔の乙女。南から南から

■流行語/欲しがりません勝つまでは。転進。

1942年の主な出来事。

緒戦の戦果に幻惑されて、大多数の国民は東条政権に追随しました。翼賛政治会が結成され、議会は政府の意のままにされたのです。

日本軍はわずか4カ月の間に、西南太平洋の資源地帯の大半を傘下に収めましたが、長期戦に対する計画がなく、次第に作戦上の欠陥を暴露しました。これによって、陸海軍の対立が表面化しました。

ミッドウェー海戦の敗北を機に戦局は逆転、米軍のガダルカナル島上陸後は、日を追って劣勢に追い込まれました。

政府は戦時経済の組織化、輸送力の増強に狂奔しましたが、両国の戦力は決定的に開いていったのです。

1942年(昭和17年)

日本軍のシンガポール攻略について伝えた1942年2月16日の記事

日本軍のシンガポール攻略について伝えた1942年2月16日の記事

1.1 連合国26カ国、単独不講和・共同戦争強行宣言に調印

1.2 日本軍、マニラを占領、軍政布告

1.2 毎月1日の興亜奉公日を廃止、毎月8日を大詔奉戴日に

1.10 労務統制令実施

1.11 日本軍、セレベス島上陸

1.16 大日本翼賛壮年団結成

1.16 戦時大増税案発表、直接税11億円

1.18 日独伊軍事協定、ベルリンで調印

1.28 造船統制会創立

1.31 日本軍、マレー半島ジョホールバル占領

2.1 衣料、みそ・しょうゆなど切符制実施

2.1 技術院開庁

2.2 愛国婦人会、大日本国防婦人会など解散統合して大日本婦人会創立

2.4 ジャワ沖大海戦、オランダ領インド艦隊の主力覆滅

2.6 英米合同参謀本部をワシントンに創設

2.15 日本軍、シンガポール攻略、英軍降伏。昭南島と改称

2.16 東条首相が議会で大東亜経綸に関する帝国の方針闡明(東条宣言)

2.21 食糧管理法公布(7月1日実施)

2.22 チャンドラ・ボースが日印提携、インド独立を声明

2.23 英米相互援助協定成る

2.23 翼賛政治体制協議会結成

2.24 重要物資管理営団法公布(3月5日施行)

2.27 スラバヤ北方沖大海戦

3.1 バタビア沖海戦、日本軍ジャワ島に上陸

3.1 南方開発金庫設立

3.5 東京に初の空襲警報発令

3.5 日本軍、バタビアを完全占領

3.8 日本軍、ラングーン占領

3.9 ジャワの蘭印軍、全面的無条件降伏

3.12 マッカーサーがフィリピンを脱出し、17日オーストラリアに到着

3.14 独・伊経済協定成る

3.20 日ソ漁業暫定協定成立

3.25 戦時海運管理令・同施行規則公布

3.27 日本軍、スマトラ全島占領

3.30 米・英・豪・華4カ国ワシントン軍事会議

3.31 日本軍、クリスマス島占領

4.1 日本銀行券最高発行限度60億円に改正

4.1 全国の映画館を紅白の2系統に分けて一元配給

4.6 大東亜共栄圏主要農産物対策要綱決定、第1期10年計画樹立

4.8 リビアで枢軸軍攻勢を開始

4.11 日本軍バターン半島占領。捕虜に「死の行進」を強要

4.18 米陸軍機、日本本土初空襲(京浜、名古屋、四日市、神戸など)

4.18 戦時金融金庫設立

4.19 マッカーサー、西南太平洋連合軍司令官に就任

4.24 尾崎行雄、選挙の応援演説で不敬罪、起訴(のち無罪)

4.30 第21回総選挙(翼賛選挙)。推薦者候補381人、非推薦者候補85人当選

5.7 日米初の航空戦。日本、コレヒドール島占領。珊瑚海海戦

5.8 朝鮮に1944年度から徴兵制施行決定

5.9 金属回収令で寺の鐘、銅像などの強制供出が始まる

5.12 ドイツ軍、対ソ攻勢再開。北アフリカではドイツ軍降伏

5.20 翼賛政治会創立(総裁・阿部信行)

5.23 全国金融統制会設立(総裁・結城豊太郎)

5.26 英ソ相互援助条約調印

5.26 日本文学報国会創立(会長・徳富蘇峰)

5.27 第80回臨時帝国議会開会

6.5 ミッドウェー海戦。4空母失い日本軍敗戦の転機

6.7 日本軍、アリューシャン列島のキスカ島占領

6.8 日本軍、アッツ島上陸

6.11 米ソ相互援助協定調印

6.18 ワシントンでルーズベルトとチャーチル、第2次戦争指導会議(20日まで)

7.1 関門海底鉄道トンネル下り線開通(1944年8月8日上り線開通)

7.8 高等女学校の外国語を随意課目に決定

7.11 大本営、ニューカレドニアなど南太平洋進攻中止を決定

7.17 独ソのスターリングラード攻防戦始まる

7.24 情報局、全国主要新聞社の整備統合方針(1県1紙)発表

8.7 米軍、ガダルカナル島に上陸。米軍の反撃始まる。8日、第1次ソロモン海戦

8.9 インド政庁、国民会議派に大弾圧、ガンジー、ネールら捕らわる

8.12 モスクワでチャーチル(英)、スターリン(ソ)、ハリマン(米)会談

8.20 日米交換船浅間丸・コンテベルデ号が横浜入港。野村・来栖両大使ら帰国

8.21 閣議、中・高等学校など学年短縮案要綱決定。中学4年、高校2年

8.24 第2次ソロモン海戦

9.1 大東亜省設置を閣議決定。東郷茂徳外相が反対し辞任

9.1 中央食糧営団創立

9.8 大政翼賛会、国民一般的錬成方針要綱決定

9.17 大日本産業報国会、経営責任者の陣頭指揮運動要綱決定

9.- スターリングラード市街戦

10.1 行政簡素化実施。官吏定員17万人を減じ、拓務省・興亜院などで部局を統廃合

10.5 帝都防空総合訓練開始

10.11 国鉄・私鉄・バスなど、時刻表に24時間制採用

10.13 全国の百貨店売場を縮小し事務所への転換を決定

10.19 防衛総司令部、本土空襲の米機乗員捕虜を死刑または重罰に処すと布告

10.26 南太平洋海戦。ガダルカナル島をめぐる攻防

10.28 英・米・ソ・華が重慶で東亜作戦会議

11.1 大東亜省発足、初代大臣に青木一男

11.3 厚生省、優良多子家庭を表彰

11.5 妊産婦手帳制実施

11.7 国鉄、乗車券の発売制限

11.8 米英連合軍、北アフリカのモロッコ、アルジェリアなどに一斉上陸開始

11.12 第3次ソロモン海戦で日本、ガダルカナル島に補給困難、米軍優勢となる

11.19 ソ連軍、スターリングラードで反攻を開始

11.30 ルンガ沖(ガダルカナル島)海戦

12.8 大東亜戦1周年記念国民大会

12.12 天皇が伊勢神宮参拝、戦勝祈願

12.23 大日本言論報国会創立

12.26 第81回帝国議会開会

12.31 大本営、ガダルカナル島撤退決定

早くも日本の将来には暗雲が立ち込めます。

なにゆえの戦争だったのか、やがて思い知らされる日が、残念ながらやってきます。

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